ぜんじろうは何者で現在なにしてる!?

やしきイソジンは言い過ぎ?ぜんじろうさんとは何者?

2021年10月、衆議院解散に伴う総選挙が月末に実施されることから全国で候補者が東奔西走しています。

そんな中、10月26日に大阪にて立憲民主党の乃木涼介候補者と共に街頭演説を行った「ぜんじろう」さん、日本維新の会の吉村洋文副代表を「本業はタレント」「やしきイソジン」などの言葉で痛烈に皮肉ったとして話題になっています。

そんなぜんじろうさん、どのような方なのでしょうか。

ぜんじろうは何者で現在なにしてるの!?

ぜんじろう、とはもちろん芸名で、本業はお笑いタレント、現在はスタンダップコメディアンとしても活躍されています。

スタンダップコメディとはあまり聞きなれない言葉ですが、これは日本語でいう漫談に近い芸で、語源はマイクを片手に立ちながら喋ることに由来しています。

漫談と異なるのは、一方的に喋るのが漫談なのに対し、観衆との対話形式で進められていくことで、皮肉を混ぜながら喋るのが特徴であるそうです。

スタンダップコメディは観衆を頻繁に笑いへ巻き込まなければならず、そのテクニックを習得するのには10年以上はかかると言われているそうです。

そんなスタンダップコメディアンとして活躍されているぜんじろうさん、「日本スタンダップコメディ協会」という組織を立ち上げ副会長に就任されているそうですよ。

冒頭の皮肉ったワードも、スタンダップコメディで培ったものなのかもしれないですね。

ぜんじろうさんの本名

さて、ぜんじろうさんの本名は金谷 善二郎(かなたに ぜんじろう)と言います。名前を芸名にされたのですね。

1968年1月に兵庫県姫路市にて出生、高校までは姫路市に住み、大学で大阪に出たものの中退されています。

大学入学も面白いエピソードがあり、親元から離れたい一心で受験を決意。ただ残念ながら成績が伴わなかったことから合格するとは全く思っておらず、大学の場所すら入試当日まで知らなかったそうです。

芸術系の大学であった為、絵を描く実技試験に対し適当に書いて提出、その後面接があったそうですが絵を見た面接官の質問に嘘で答えたことが福をなし、結果合格したそうです。

まさに口ひとつで勝ち取った合格、スタンダップコメディも口ひとつで勝負することから
原石はこの時に輝いたのかもしれません。

その後、2000年頃まで司会者としてテレビで活躍されていた上岡龍太郎さんにウケ狙いで弟子入りを懇願するとこれもまさかのOKが出て弟子になっています。

修行を経て、吉本工業へ所属。しばらくしてから現在の芸名に改名し、漫才コンビを結成。

翌年には芸人の登竜門とも言われダウンタウンやトミーズも受賞したABCお笑いグランプリの
第10回大会で優勝されています。この大会では大本命と言われていた板尾創路さん・ほんこんさんの漫才コンビ『130R』を押しのけての優勝でした。

その後程なくしてコンビは解散、ピン芸人として歩むこととなり、深夜のラジオ番組主体で活動することとなりましたが、番組内で過激な笑いを追求し何度も暴走してしまい、事務所からの評価が徐々に落ちていったそうです。

ラジオと並行し劇場にも出ていましたが、女性客からの冷遇に憤慨、不遇な扱いを受けた芸人同士のユニットを結成し吉本興行からも好評だった様ですが、吉本がダンスメインのユニットとして売り出そうとした方針に反発し、結果創始者とも言えるぜんじろうさんは外されてしまいます。

なお、このユニットが後に一世を風靡する「吉本印天然素材」となるのでした。

その後、関西ローカルの深夜番組「テレビのツボ」の司会者に就任。番組は若者中心に人気を博し関西での人気番組となります。「平成の明石家さんま」との触れ込みで大々的に売り出され、最盛期は17本のレギュラー番組を抱えるまでになりました。

1995年に東京吉本へ移籍、全国ネット番組へと進出しますが、本人の芸風を東京の業界人が上手く調理できなかったのか様々な説はありますが徐々に出演番組が減っていき、やがて全国区のテレビから姿を消してしまいます。

1998年に一念発起し渡米、この時よりスタンダップコメディアンとしての芸を確立されていったのではないかと思われますが、その後シカゴでプロデューサーにその芸を見出されたことからシカゴに拠点を置いて活動。様々なコメディ・フェスティバルに出演し芸を磨かれた様です。

2001年頃からは日本での活動も再開され、あのM-1グランプリの予選にも出場された経験がある様ですよ。

スタンダップコメディを磨かれたからこそ出てしまった過激なワード「やしきイソジン」ですが、一度その磨かれた芸をじっくり見てみたいですね。

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